Co-Creationという世界の生き方、リーダーシップのあり方とは?
(公開トークセッション抜粋)【由佐 美加子 】
※ノーカット版です。本編は11分過ぎから始まります。
幼少期のいたみ
恐れに駆り立てられた行動
人は、とても幼い時期に何かしらの痛みを言語の存在なくショックとして体験している。ただただ愛されたかったのに、それがかなわなかった、という体験。見てもらえなかった、聴いてもらえなかった、愛してもらえなかった、わかってもらえなかった。多くは親との関係から。大人から見れば些細に思えることでも、思考が発達していない時期の子どもにとっては堪え難いいたみとなってしまう。
ショックを受けた子どもは、その痛みを切り離すためにそれが起こった理由を無意識に必死で考えるのだろう。理由を考え出せれば、ショックは軽減されるからだ。こうして思考は発達していく。行き着く答えは大抵「(見てもらえるほどの)価値が自分にはない」だ。このように形成された信念は、心の奥に封印された悲しみは恐れとして身体に刻まれ、その痛み、悲しみから自分を遠ざける力学が働きだす。もう二度と同じ悲しみを味わいたくない、とそれを回避するための行動へと人を駆り立てていく。価値がない自分は受け容れがたく、周りから認められる存在になろうと努力していくようになる。価値がないと思われるわけにはいかない、と恐れに突き動かされる「反応行動」はこの強力なエンジンから創り出されていく。そして母親からの受容が社会からの承認へと求めるものが切り替わるなど、一部は形を変えて強固に作用し続ける。
世の中で「成功者」と評される人の多くが、この反応行動から力をつけ、社会的に認められていった人たちだ。いたみが強く、恐れが大きければ大きいほど、能力は卓越していく。しかし、当人たちの心情はどうであろうか。恐怖から駆り立てられた行動が、人を充足させることはあるのだろうか。
CCCのパートナーの1人で、この話の語り手でもある由佐美加子さんの場合もまさにこれだった。一人ぼっちになりたくなくて、でも独りにされても大丈夫なように自分の能力を必死に磨いていく。行き着いたのは自分がなぜ生きているのか分からぬ虚無感だった。
機能不全を抱える社会
二元論を越えた先の世界
本当は価値がないと無自覚に信じ込みながらそれを打ち消すための能力を磨いていく。自分の内を「良いところ」と「悪いところ」に分け、悪いところを隠したり直そうとしていく、もしくは良いところだけを外側に見せて「フリ」をしていく。このように自分の内側を「二元論」で見ることが、虚無感を生む源ではないか。そして、この二元論こそが世の中で起きている争いや機能不全の根本ではないかと由佐さんは考えるようになっていった。
人は自分の内側を二元論で見るように、外側の世界も善悪に分けて捉える。身の回りの事象に対して、「どちらがより正しいか」というレッテルを貼る。その瞬間に争いの火種が生まれる。必ず、自分とは異なるレッテル貼りをした人が現れるからだ。善悪の観念が強ければ強いほど争いは激しくなり、最終的には戦争やテロに至る。
また、会社の中で多くの時間が費やされる「課題解決」も、二元論から生じたやり方だ。人は自分の悪いところを直すように、組織内の課題を改善していくことに努めている。会社の中を見渡して機能していない箇所を切り出し、なにが起きているのかを描写してそれに見合った解決策を実行する。一時的には改善したように見えても、根本的な解決に繋がらないケースがいかに多いかを、由佐さんは仕事を通して実感してきた。
人間一個人だけでなく、会社の組織や社会全体を見てもやっていることはみな同じだ。本来は善悪の境界がなく、あらゆるものが相互に繋がり影響を与え合っている世界を、私たちは分断して抽出し、そこにレッテルを貼って二元的な世界に再構成している。そして、悪い箇所を直し続けている。その結果起こっていることはなにか。それは個々人の生の真空状態であり、戦争を一度も手放せていない現実であり、数多の保全活動に反していまなお悪化し続けている環境問題である。
人間が真に充足し、社会がよりよくなっていくための鍵は、この二元論を越えた先にあるのではないか。由佐さんの活動の原点には、その直感的な意識があった。
自己受容がすべての始まり
意志によって行動を起こす
では、我々はなにをしたらよいのだろうか?
由佐さんは、この問いをまず捨てるべきだと断言する。この問いを発した瞬間に、再び二元論的世界に逆戻りしてしまうからだ。私たちには「なにかをしないと自分には価値がない」という洗脳とも言うべき意識が非常に強く根を張っている。しかし、地球環境を例にとれば、それが真実ではないことは明かだ。地球環境を改善させる一番の方法は、人間があらゆる経済活動をやめ、最低限の衣食住で暮らすことだ。私たちにすべきことがあるとしたら、ただなにもせずに息を吸っていること。それがもっとも地球環境に貢献できるかも、と想像してみたらどうだろう。
なにかをすることや、なにかを変えることに価値があるという思い込み。二元論の先にある世界への道は、そうした思い込みを捨て、自分の内側で起こっていること全てを受容するところから始まる。
自分の内側の全受容。それは自らを暴き、突き動かしている「自分には価値がない」という意識が自分の内にあることを認め、そこにある悲しみを受け入れるということ。そして、自らを価値付けるために取っていた行動の裏で押し殺してきた喜怒哀楽を、押さえ込むことなく感じ尽くすということ。
そうして、良い悪いに分断されていた自分の内側を統合できたときに、自分が恐れからの反応によって駆り立てられていたことに自覚的になれる。反応行動を、客観的に眺められるスペースが内側に生まれるのだ。
そうした状態になって、人は反応からではなく自らの意志によって行動を起こせるようになる。いまの行動は反応からか、意志からか。行動の「起点」と呼ばれる、自分を動かしている力の源を自ら選択し、確認できるようになるのだ。
宇宙の意志と調和する生き方
「仕事」とは祈りの形である
なにをしたらよいのかではなく、どう生きていくのか。
恐れから引き起こされる反応行動を抜け、意志によって行動を選択できるようになったときの新たな問いだ。この問いに対して、由佐さんは「宇宙には地球を美しく調和させたいという意志が明確にあると思う」と自分なりの答えを導きだしているという。
すべての人間はその宇宙の意志を完遂させるための目的を負って生まれてきている。そして、宇宙は常にそれを私たちに知らせるためのメッセージを送り続けている。どう生きていくのかという問いへのヒントは、このメッセージをいかに研ぎ澄まして聴けるかにある。
そこで重要なのが身体感覚だ。どう生きていけばいいか、それを思考で考え始めると再び無意識的に思考が創り出す恐れに引っ張られてしまう。自分の「今ココ」の身体感覚を常に観察し、その行為によって「わくわく」するかどうかを感じてみる。
わくわくとは、宇宙の意志に紐づいた体感覚である。人によって、それを感じる体験が異なるからだ。その感覚を便りに、生まれてきた目的を手繰り寄せる。そして、その目的のために力を使い出した時に人間の創造性は華ひらくと由佐さんは考えている。
最後に、由佐さんはCCCでの活動を「祈り」だと称する。祈りは、ただ大きな意に沿った願いを天に捧げるだけ。そこに人の意識や行動を変えようという力の介在はない。ただその人の命にとって最善に向かうことを願って最善を尽くすだけ。
人間は反応ではなく、創造することが生きること。そしてその先には素敵な世界がきっとある。そんな自身の願いを、祈りの意識から拡げていきたいと思っている。
(ライター:渡辺嶺也)
幼少期からヨーロッパ、アジア、米国で育ち、米国大学卒業後、国際基督教大学(ICU)修士課程を経て ㈱野村総合研究所入社。その後㈱リクルートに転職し、事業企画職を経て人事部に異動。次世代リーダーのあるべき姿を模索する中でMIT上級講師ピーター・センゲ氏が提唱する「学習する組織」と出会う。以降、ソーシャルテクノロジーと呼ばれる最先端の人と組織の覚醒と進化の手法を探求し続ける。2005年Appreciative Inquiry(AI)を生み出したデビッド・クーパライダー教授が教える米国ケースウェスタンリザーブ大学経営大学院で組織開発修士号を最高成績で修了。出産を経て2006年よりグローバル企業の人事部マネジャーとして人材・組織開発、新卒採用・育成を担う。2011年に独立、3年後に合同会社CCCを現パートナーと共に設立。
2015年よりCCCの活動に加えて新しいパラダイムの子育てとその実践の仕方を共有する活動を合同会社ファミリーコンパスを通して展開する
オットー・シャーマー著「U理論」訳者
合同会社ファミリーコンパス パートナー