Co-Co Life(扇強太さん)

外出を敬遠しがちで、恋をするのにも引け目を感じてしまいがちな障がいや難病をもつ女性が、一歩踏み出し普通の女性と同じ様に人生を楽しめるきっかけを提供したい。そんな想いのもと発刊されているのが、Co-Co Life(ココライフ)女子部(以下Co-Co Life)である。特定非営利活動法人施無畏がかつて発行していた同名の障がい者向けの有料季刊誌を、新たにフリーペーパーCo-Co Life として2012年に復刊させた。

Co-Co Lifeの掲載記事は、思わず外に出たいと思わせる軽快なテンポのものから、障がいをもつ女性の本音を綴るインタビューや対談など胸をつくものまで多岐にわたる。「バリアフリー&女子的街散歩」と題したコーナーでは、日本全国のスポットを障がいをもつ女性モデルが実際に周って案内する。ある刊では「コテコテの定番大阪と新しい大阪で『おもろいもん』と『おいしいもん』に出会う」をテーマに、車いすの女性が実際に周りながら、お好み焼き・ねぎ焼などを食べ歩き、最後には大阪が一望出来る観覧車に乗るなど、グルメや観光名所などをその土地の魅力を伝えている。バリアフリー化されている鉄道の情報や、段差がなく手すりなどが付いているホテルの部屋が紹介され、車いすで気をつけた方がいい坂道や段差の場所など注意点も掲載されている。また「ふたりのあいだ」と題して、障がいをもつ若い夫婦に焦点をあてた連載もある。2人の出会いや結婚に至るまでの経緯が、夫婦それぞれの目線から書かれたこの連載は、障がいをもっていかに大変かという視点でなく、あくまで一人の人の想い、一つの幸せな夫婦模様が描かれているのが印象的だ。さらに「教えて!バリアフリーな恋愛テクニック」と称された本音トーク企画では、障がいを持つ女性たちが「出会い」や「愛され女子になるためには」などのテーマで赤裸裸な気持ちや体験談を話合う。Co-Co Lifeでは、一貫して「障がいがあっても女性は女性。女性としてもっと人生を楽しめる」という姿勢が貫かれている。

Co-Co Lifeが大切にするもの

Co-Co Lifeの特徴は、障がいをもつ女性たち自らが雑誌の企画や編集、営業をおこない、雑誌に登場するモデルも障がいをもつ女性であるという点である。当事者だからこそ分かる彼女たちの悩みがあり、欲求がある。そして自分も経験したからこそ、彼女たちがいるその半歩先に、もっと幸せな世界があることも分かっている。Co-Co Lifeは、その幸せな世界を旅、グルメ、ファッション、恋愛などを切り口に描いている。そしてCo-Co Lifeの編集、プロデュース、営業、ウェブ、運営統括などは各分野のプロフェッショナルがボランティアとして支援し、一般の女性誌と比べてもひけを取らないクオリティのものに仕上げている。当事者が描く世界と、それを支えるプロフェッショナルがいるからこそ、Co-Co Lifeは、病院、企業、飲食店等全国351箇所での配布や個人購読で、年間4万部も発行され、障がいをもつ女性を共感ときっかけを与え続けている。

「彼女たちが外に出てきたらなにが起こるか。例えばスターバックスのお客の10分の1が障がいをもつ人だったとしたら、従業員はいちいち車いすを引っぱりあげるのは大変。だったらスロープをつくっちゃえとなる。駅でも同じ。それがバリアフリーにつながる」。Co-Co Lifeの営業責任者である扇強太さんはそう話す。

Co-Co Lifeを支えるプロフェッショナル 違和感なく走り続けた

厚生労働省が行った「平成18年度身体障害児・者実態調査」では、障がいをもつ人の約40パーセントが就労収入や公的年金などで一ヶ月あたり15万円以上の所得がある。障がいをもつ人の数も、医療技術の発達などの理由により平成3年の約270万人から、平成18年に約340万人に増加している。購買力をもった彼らが社会進出することは、企業にとって新たな顧客を獲得するチャンスでもある。営業責任者である扇さんはそのような企業心理を捉え、Co-Co Life発刊のために必要な経費を生み出している。

扇さんとCo-Co Lifeの関わりは、2012年Co-Co Lifeが復刊したときにさかのぼる。それまで、扇さんは製薬会社で働く傍ら、ジャーナリストにワークショップを提供する会社を立ち上げて活動していた。2年程が経ち、一人で出来る事の限界や取り組んでいる活動の価値に違和感を感じ始めていた頃にCo-Co Lifeのプロデューサーと出会い、関わることになった。

“人に何かを伝える”を軸に活動を続けている扇さん。ずっとジャーナリズムとは無縁の道を歩いてきた。扇さんは大学を卒業して、製薬会社に入社した。扇さんが入社した時期は、個人営業の小さな薬局が大半を占めていた時代から、規模の大きな薬局がチェーン展開する、その転換期だった。入社して数年目に個人店への営業から台頭する大型店への営業を任されてから気持ちに火がついた。会社ですら答えを持っていない大型店への営業。自分で色々なやり方を試し営業成績が上がっていくにつれ、だんだんと認められていった。結果が出る楽しさに取り憑かれ、それから約7年間寝る時と食べる時以外はひたすら仕事にのめりこんだ。仕事に対する疑問も、将来に対する悩みもなかった。ところが、仕事の業績を認められエリアマネージャーに昇格してから扇さんの心情に変化が起こり始めた。それまで火の様な姿勢で打ち込んでいた仕事へのやる気や興味が薄くなり、人より早く出世しているのにも関わらず、全く意味を感じなくなっていた。会社全体の業績も下がり始めているのにも関わらず、次の一手も見えない。今までやってきた事が正しいのか、今自分がいる立ち位置は、世の中全体のどこなのか。いままで当たり前に感じていた会社の価値。考えたことすらなかった自分の本当にやりたいこと。それらの疑問をとどめる事ができなくなり、扇さんは会社を休職し、大学院へいった。

もがきの先に見えてきたもの 振り返るとそこにあったもの

探していたものは大学院へ行っても見つける事はできなかった。復職して元の仕事に戻ったものの、自分が本当にしたい事はなんなのか、自分は何者なのかという問いはずっと消えず残っていた。そんなある日、扇さんはふとカメラを手にとった。昔は好きでよく撮っていたが、ずっと忘れていた。再び写真を撮り始める中で、“人に何かを伝える”という写真本来の意味を捉え直すようになった。人に何かを伝える。その行為の中で自分にできることはなにか扇さんは考えた。いまからプロフェッショナルなカメラマンとして生きていくのか。でも世の中にはうまい人はたくさんいる。そこを追いかけるよりも、自分だからできること、自分の力が役立つ場所がきっとあるはず。そのような気持ちで扇さんはジャーナリズム系の雑誌のボランティアやNPOに参加して北京パラリンピックの取材、ワークショップを提供する会社の運営など様々な活動を行っていった。そうして “人に何かを伝える”ことを手元へ手繰り寄せ、自分の関心分野や役割を深めていった。

Co-Co Lifeの営業責任者を担う扇さんは、何をやりたいのか、何をやれるのか、何をやるべきで、期待されているのかという3つの問いを諦めずに追い続け、行動に移してきた。そうしたもがきの中から少しずつ自分の内側へ近づき、いまはCo-Co Lifeに関わっている。きっと扇さんは今でもより納得できる自分の内側へ近づこうともがき続けているのだと思う。よりよいものへの妥協しない一貫した姿勢が、限られた時間やお金、人などのリソースの中でより納得したものを作ろうとするCo-Co Lifeでの姿勢に通じているのかもしれない。

一冊の雑誌を作り上げることは並大抵の事ではない。掲載する記事の企画や取材、読み手が惹付けられる誌面にするための文章や写真の編集、そして様々な記事の企画が期日までに仕上がるための制作進行や、運営費を賄うため企業への営業活動など多岐にわたる分野で高い質が要求される。Co-Co Lifeが障がいをもつ女性やスポンサーとなる企業から反響を受け出版し続けられているのは、Co-Co Lifeに集う様々な当事者とプロフェッショナルが、困難に向かい合いながらもそれぞれの役割に納得いくまで向き合い続けているからだ。