【第三の道】男性性と女性性から紐解くこの時代の行方 高橋実(舞踏家・施術家)x 由佐美加子 – 後編 –
※前編はこちらから。
【女性の権威と男性の権力】
男性は、権威への興味がありますよね。(由佐)
女性のほうが「権威」は好きなんです。男性は、権威よりも権力。支配する力が欲しいんです。簡単な構図でいうと、天皇家が権威で、大名とか殿様とか、そういうのが権力です。男は位置じゃなくて力が欲しいんです。
「権威」というのは女性的なエネルギーなんです。自らは戦いを放棄している訳だから。アマテラスオオミカミもそうだし、ヒミコもそう。
今の天皇家は男系が継いでいますが、これも実は女性の発想なんです。なぜかというと、世継ぎとして生まれた男たちは全部、「母の息子」だからです。表看板は男の天皇なんだけど、裏看板は集合的な女性のエネルギー。このバランスが、現在の日本を支えてきているエネルギーのあり方です。
日本人はいかに母性のエネルギーが強い民族であるか、というのがよく分かる。「わたしの息子を表に出していく」という、母性エネルギーがつくってきた流れですよね。
格のある家に嫁ぐっていうのは、他人の家に単身乗り込んで、乗っ取りに行くことなんですよね(笑)。舅や姑との戦いを経て、だんだん自分の色合いを強めていき、やがて君臨するわけです。そしてまた新たに嫁が来る。そうやってできていくのが家の格、文化です。それが器になり、看板になる。
核家族やシングルマザーの家庭はそれが薄いんです。そうすると、母と息子がよくない癒着のしかたをする場合もある。母が息子に対し、あらゆることを面倒みたり、尻拭いしたり、弁解したり、ということにどうしてもなりがちです。気をつけないと「子どもが自分の命」みたいになっちゃうんです。文化が吸収してくれる場合はそこまでいきません。「わたしが大切なのはあんたじゃない、家なのよ」って思えるから。
そんな中で、男の人はこれからどういう風に生きていったらいいか。ぼくは、最終的には、男性特有のマニアックな集中力というものをどう生かしていくかだと思います。
男性が女性より優れているのは、筋力とマニアックな集中力、そこしかありません(笑)。
その男性のマニアックな集中力が文化をつくってきた、という側面もある。だから男性は文化に貢献するしかないんです。
今までの物語をつくってきたのは男性。その物語は、欠乏から豊かになるという成功譚です。でもこれからはもうその路線ではない。別のストーリーをどうつくっていくかだと思います。もうちょっと、魂や自然、人とのつながりといったものがダイナミックに展開していくドラマがつくられていく、という気はしますけどね。
ただ、女性がもっと自由になっていかないと、なかなかその物語にもリアリティが生まれてこないと思います。そういう物語が見え始めてきた時に、男性の変化は出てくるんだと思う。だから今の時点で男の人に「どうやって変えようか」って言っても、ちょっといっぱいいっぱいじゃないですかね(笑)。
この間の天皇家からのビデオメッセージもそうでしたが、天皇家からの発信ってみんな共感しますよね。それがあって、民意もそこそこレベルが高い。でもその間にはさまっている真ん中の人たちは、どうしてこんななの?って思います。
日本は、民衆レベルでは心ある人たちが多いと思います。でも、その上の連中のやっている政治や行政の心ないあり方に、ギャップをすごく感じますよね。それは、そこに集まっているのが甘えん坊のバカ息子だからなんです。母から表に押し出されたバカ息子たちが、社会の真ん中にいる。
そこには、母の意識が「家」に向かう、ということの負の側面もあります。「人」を見ていないんですよね。息子をどうやって人格的に育んだらいいのか、ということを考えていない。息子がどんな人間だろうが、困ったことがあったらわたしが助けるわよ、という風になってしまう。そうやって自分の世界にぜんぶ染めていってしまう。母性のもつネガティブな側面です。
どうしたら健全にそのパワーを使えるんですかね。
物語をどうやって展開できるか、ということです。その時に、自分の家も、生理も、自分の生んだ子どもも見つめなくてはいけない。という思考が浮上してきます。そうしたら今までとは違う組み合わせの物語が生まれてくるかもしれない。
どういう物語を紡ぐか、ということですね。それに自覚的になる、ということはすごいことですよね。
自分の中にいろんな素材があるわけです。文化の外側にあるものをつなぎ合わせるやり方では、そうそう物語は新しくならない。歴史的に正統とされている方に行きがちなんです。
「自分は」を極めていく以外に統合はない、という感じですね。
【幼児化する文化、日本のこれから】
今は通過儀礼がないから、いきなり「離婚」みたいなことが通過儀礼になってしまいます。昔のシャーマニズムの世界だったら、通過儀礼をして大人の世界に入っていった、というところがあるけれども、今はない。文化自体が世界で幼児化されています。
さっき、日本の論理性のなさについて話しましたが、日本語自体にも幼児的なところがたくさんある。たとえば、日本語はオノマトペ(擬態語、擬声語)が多いんですよね。オノマトペでみんな説明できちゃうくらい。「ガリガリ」って言ったら、通じちゃう。それだけ、身体感覚のマッチングでコミュニケーションをしているということ。「意味」を言う必要がない。だから論理性がいつまでも育たない、というところもあります。
(参加者から)人は一人では生きていけないと感じます。やはり男女がパートナーとやっていくことが必要だと思いますが、それにはどうしたらいいか?という部分が分かりません。
今の20代、30代の人たちに統計をとったら、男性は3人に1人、女性は4人に1人が「結婚したいとは思わない」そうです。この傾向は、今後もっと進むと思う。そういう状況では、パートナーシップということを根本的に考え直さないといけないと思います。今まで連綿と続いてきた男性、女性というイメージのまま、「それをどう組み合わせるか」という発想ではもう追いつかないように思う。
そういう意味では、大事なのは「どうしたいのか」というところです。どうしたらいいのか、良い悪いでは言いようがない。口先だけの話になってしまいます。「わたしはどのような人間をパートナーとしたいのか」ということがまず大切だと思います。
日本はたぶん、もう30、40年しないと落ち着かない。数千万人の年寄りがいる、という状態の今の日本は、社会として厳しいところにあると思います。
だって、どうして年寄りにこんなに優しくしないといけないんだって、正直思うでしょう(笑)?「わたしはどこでのたれ死にしてもいい」と、全力を尽くして生き、ぱたっと死ぬ。そういう生き方をどうやってみんながしていくか、ということだと思います。
■高橋実(たかはし みのる)
治療家、セラピスト、舞踏家。トランスパーソナル・ムーブメント(現在のスピリチュアルの源流)の、スタート時点から、日本と、日本人の身体に向き合い続けている。20代、舞踏の稽古にまい進していた頃、生命の形として生まれた身心の不思議を感じ、そのメカニズムを知りたいという欲望に駆られる。東洋医学、トランスパーソナル心理学を習得する。
1984年、吉祥寺に治療院「からだはうす(トータル・リコール研究所)」を設立。ホロトロピックブレスワークをアレンジした独自の呼吸法をもとにワークショップなどを手がけ、4万人近くの心と体に向き合いつづけてきた。2013年三鷹に移転。
整体治療、カウンセリング、呼吸法、舞踏をとおして、人間の身体や感情、心理や知性、感覚やスピリチュアリティのエネルギー的関連を、象徴的な見方から紐解いていく作業に取り組んでいる。「自分探しの呼吸法」著者
★この対談をきっかけに、高橋さん×CCCでイベントを行うことに決定しました!!★
女性性と男性性の統合を探求しよう「オンナとオトコの曼荼羅塾」
男性性と女性性は人間の中の最も基本的な原理を成しているエネルギーだと思います。