【第三の道】 山伏修行で野生を目覚めさせる女性たち 「強い魂と融和性」で男社会を覆せ 星野尚文(山伏)x 中西れいこ(占星術研究家)x キム・インス

 

今回の第三の道は、日本の山の思想を体現する山伏から、「女性性」とはどう見えるものなのかを探究する会となった。山伏の星野尚文氏は山形県・羽黒山で宿坊を営み、泊りがけの山伏修行体験を指導している(※星野尚文:星野文紘さんの山伏名)。そこで修行した女性たちが、いきいきと美しくなって帰っていく様子を見守ってきた星野氏は、自らの体験に基づいて「女性性」への考察を深めてきた。なぜ女性が山伏修行をすると元気になるのか。山の思想と女性性の関係。更には女性リーダー待望論へと、話題は広がっていった。

 

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「山伏の証拠を見せる」と、ほら貝を吹く

ファシリテーターを務めた、CCCパートナーのキム・インスから紹介され、「山伏を名乗るからには、証拠を見せないといけない」と、会場の笑いを誘った星野氏。ほら貝を取りだして、実際に吹き始めた。高い音、そして低い音。都会の一室ではあまり聞くことのない音が響いた。

「やはり山で吹いた方が、ほら貝も喜ぶ」。ほら貝は海で育つが、その成長を支える養分は、山から川を通って注がれる。「山から命をいただいて育ったことが、ほら貝もわかるのでしょう。山に行くと、とても気持ちよく吹けます」と星野氏は話した。

 

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修験道とは、魂が感じたことを考える学問

「みんなが聞きたいのは、修験道って何? 山伏って何? ということかな」と、来場者に語りかけた星野氏。「本質はシンプルなもの。修験道とは、そこに身を置いて魂(たましい)が感じたことを、考える学問」と説明した。ただ現代人は、「こんなビルの中で暮らしているから、魂が弱っている」といい、一方で昔の人は、山や川、海など、自然と一体となって生活していたのだという。「だから昔の人は、魂が強かった。魂が強い状態で感じたことを考えるのが、修験道だといえる」と付け加えた。

次に星野氏は、「山伏って何?」という質問に答え始めた。「山伏とは、山にいる神や仏と、みなさんをつなぐ役です」。自然とみんな、命の元である食べ物とみんな、人と人、人と地域……。「言い換えれば、山伏とはいろいろな関係性をもつことだ」と星野氏。だから山伏とは実は身近な存在であり、誰もが山伏の下地をもっていると話した。「何かのつなぎ役をしている人は、みんな山伏なのです」

 

山とは、女性の体。赤ちゃんが育まれる胎内

次に会の話題は、「日本人にとって、山の思想とは何なのか」というテーマに移っていった。ここでも星野氏は、話の核心から単刀直入に説明を始めた。「山というのは、女性の体。赤ちゃんが育まれる胎内なのです」。つまり山に入り、そこから出てくることは生まれ変わるということを意味する。「山に何百回と入れば、何百回と生まれ変わります。そうすると私のような人間ができる(笑)」

山を女性の胎内と見ることは、山を「命の源」と見ることとつながっている。「私たちが命をつなげるのは、食べ物のおかげ。ではその食べ物はどこから来るのか。山から与えられています」(星野氏)。山からいただいた命を食べるという行為は、春に山菜を味わうことによく表れている。「冬の間、雪の下でエネルギーをためた山菜は、春になると一気にエネルギーを放出する。春に山菜をいただくのは、そうした生命の勢いをいただくことにほかなりません」。現代人にも古の心が残っているからこそ、春に山菜が食べたくなるのだと星野氏は説明した。

 

「間違いを犯したら山に入れ」と教えられてきた

また山に入れば生まれ変われるという考え方は、懺悔にもつながっていく。「人は多くの間違いを犯すが、間違いを犯したら山に入れと教えられてきた。山に入れば罪は消えるといわれているのです」

山は罪が許される場所であると同時に、人が成仏する場所でもあると、星野氏は語った。「人には肉体と魂があり、死ねば肉体は土に還る。魂の方は山に行くのです」。亡くなってから33年間は、魂は低い山に留まる。「33年の間に、生前犯した罪も消えていく。33年たって魂は高い山に行き、神になるといわれています」。亡くなった人の魂が33年かけて低い山から高い山へ移っていく。「こんなことは、魂が弱くなった現代人には考えもつかないこと。昔の人は魂が強かったからこそ、そのように考えたのでしょう」

高い山に行き、神になった魂は、年に一度、春先に山から下りてくる。「田の神になるといわれています」(星野氏)。田んぼでは日本人の主食である稲が育てられる。山を「命の源」とみるから、このように考えられるようになったのだろう。「天皇家による祭祀も、すべて稲とかかわりをもっています」と星野氏。こんなところにも、日本人にとっての山の思想は顔をのぞかせているのだ。

 

1400軒の村に、冬山で修行した山伏が40

ここで話題は、今回のテーマである「女性性」へと展開していった。「私は60歳くらいから本格的な修行を始め、10年経った。1400軒ほどの村に、100日間冬山に入って修行した山伏が40人いる。そんな村は世界のどこにもない」。星野氏は羽黒山のそんな集落で宿坊「大聖坊」を経営し、そこで山伏修行体験の指導をしているが、そうした修行の過程で「女性性について気づきを得た」と話し始めた。

10年ほど前、星野氏の宿坊で2泊3日の修行体験に参加するのは、1ツアーで約20人。うち女性は3、4人程度だったという。「修行を終えると疲労困憊かと思ったら、特に女性はいきいきとし、きれいになって帰っていく。いったいなぜなのか、数年観察してわかってきました」。それは女性の方が本来持っている野生性が強く、それが修行によって呼び覚まされるのだということだった。「修行体験では山を歩き回り、川に裸足で入り、滝に打たれる。身も心も野生性に戻ります。こうして3日間でも修行すると、本人も気づかないうちに、自分の中の野生性が出てきてしまうのです」

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増える女性の修行体験。男性よりも多く

こうした現象に気付いた星野氏は、女性と山伏修行について人前で話すようになった。「女性が修行体験に来ると、いきいきと美しくなって帰っていく。女性の方はその部分だけ聞いていたようです(笑)」。こうした話をする機会が増えるにつれて、修行体験の女性も増えていった。星野氏の宿坊は1階が40畳、2階が20畳という造りだが、今では1階を女性、2階を男性に割り当てるようになっているという。

なぜ女性は男性に比べて野生性、そして魂が強いのか。星野氏は「体内の水と関係があるのではないか」と話した。「生命の元である卵子と精子は、ほぼ水でできている。人体の8割以上は水分だと言われるし、人は羊水の中で育まれます」。女性には月経があり、体内の水分が毎月浄化されるが、男性にはそれがない。「女性は体内の水が常に浄化されるので、魂の強さがずっと保たれるのではないのでしょうか」。かつて山伏の修行は、男性のみが取り組むものだった。女性はもともと魂が強いから修行の必要がなく、男性のみ、魂を強くするために修行が必要だったのではないかと星野氏は説明した。

 

男社会が、女性の魂の強さを抑えるようになった

特に戦国時代から続いていた男社会が明治期以降も進むなかで、旧暦から太陽暦に変わって女性の魂の強さは弱くなっていったのではないかと、星野氏はみている。また「女性は男社会に合わせなければいけなくなり、それによって、男社会がますます女性の魂の強さを抑えるようになってしまったのでしょう」

現代社会で見られる「女性活躍推進」などの動きも、星野氏には「女性を男社会に合わせさせようとするもの」に見えるという。「冗談ではない。女性が本来魂の強さを取り戻すには、逆に男社会を潰していかなければいけません」

 

「あの人と合わない」と言いつつ、仲良く遊ぶ女性

星野氏は、今こそ政治や経済の世界でも、女性がリーダーになるべきだと説く。それはここまで述べてきた「魂の強さ」に加えて、「融和性の高さ」が女性にはあるからだと話した。修行体験の場でも、女性は「あの人とは合わない」と言いながら、その人と仲良く遊んでいる様子をよく見かける。それに対して男性は頭で理屈ばかり考え、対立の構造を作り出してしまう。「今の社会、リーダーに求められるのは野生性、魂の強さと融和性の高さです。だから俺は、女性こそリーダーになるべきだと思っている」

 

いつも都会のビルにいては、魂は強くならない

ここまでの話を受け、来場者の感想や質問を聞く時間となった。

「昔の人はなぜ魂が強かったのでしょうか」という質問に対し、星野氏は「やはり現代人のようにいつも都会のビルにいては、魂は強くならない」と答えた。かつて戦国武将は戦に臨む前、山中の絶壁に建てたほこらにこもって戦勝を祈っていたことを例に挙げ、「そんなことは魂が強いからできるし、もともと強い人が祈りを捧げるのだから、魂はますます強くなっていったのでしょう」と話した。

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自身も山伏修行を体験したという女性の来場者は、「私も修行の前はどちらかといえば自分の女性性にふたをして生きてきた。だが男性と同じ装束を着て山を歩いていると、男性と女性は全然違うことを、自然に受け入れられた」といい、自然の中に入ると、自らの女性性に向きあわざるを得ないと感じたことを振り返っていた。

 

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シンギングボウルと山伏の声明が共鳴

続いてチベット仏教の法具であるシンギングボウルの奏上と、山伏の声明の“セッション”が実現した。シンギングボウルを奏上したのは、星野氏のもとで1年ほど山伏修行をしている、中西れいこ氏。中西氏のシンギングボウルを聞いたことがなかった星野さんのたっての願いで、この“共演”が実演した。

最初に奏上を始めたのは、全身白装束姿の中西氏。高低さまざまなボウルの音が共鳴するところに、星野氏の声明が重ねられていった。15分余りの共演を終えた星野氏は中西氏に、「ありがとう。混ざったね。体が軽くなって、ふわっと飛びそうだ」と声をかけ、中西氏も「混ざりましたね」と応じていた。

「信頼する星野先達に、『中西れいこはシンギングボウルだ』と言われ、その言葉を承ってみようと思いました」と中西氏。それに対して星野氏は「『中西れいこはシンギングボウルだ』と、俺の魂がいっていた。魂の言葉に従ったら、うまく混ざりあえました」と答え、共演の余韻を味わっていた。

 

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体はしんどいが、魂は楽しい修行

ここから話題の中心は、「魂」へと移っていった。来場していた米国の写真家で、やはり星野氏の元で山伏修行をしているエヴァレット・ブラウン氏に、「修行ってけっこう楽しいよね? エヴァレットはどう?」と問いかけた。エヴァレット氏は、「体はしんどいが、魂は楽しい。なかなか体験しないとわからないと思いますが」と答えた。

エヴァレット氏の発言に星野氏も、7月から9月にかけて毎週のように修行で山に入るが、体は疲れているはずなのに、あまりそれを感じないと応じた。「体はきついけど、魂が気持ちよさを感じているから、また山に呼び戻されるのかな」と星野氏は語った。

 

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「たまたま、偶然」は自分と魂が近づいている表れ

また星野氏は、「魂は自分より先に動いて、いろんなことを察知している」と、魂の働きについて話した。「二時間遅刻したから、難を逃れた」「いつもと違う道を通ったら友人に出会った」といったことは、魂が自分より先回りして動いているから起こるのだと解説。「それに人は気付かないから、たまたま、偶然という表現を使うのです」。魂の動きに気付き、魂と自分が一体化できれば、その人は予言者になれると語った。「たまたま、偶然、幸運に出会ったり、難を逃れたりということが増えるのは、自分と魂が近づいている表れです」

 

 

いいセックスと山に入るのは、同じこと?

会はチェックアウトの時間を迎えた。「セックスやパートナーシップを、本来ある形に戻していくことの探究が、自分にとっていま大切なテーマ」と話す女性が、発言を求めた。「自然の中に入って、自らの女性性に気づくと言う話があった。ところで男性の体も女性の体も自然の一部ということは、いいセックスをしていれば、そういうことにも気づけるのかなと感じました」

この発言に星野氏は、「いい点を突いているが、セックスという言葉を使うからわかりにくくなる」と応じた。「現代人がセックスと呼ぶ行為は、本来魂と魂がまじり合うことをいいます」。よい魂のまじり合いができれば、それは魂の活性化につながる。確かに山に入らなくても、それと同じ効果が得られると語った。「こういう話は、自分から語りだすと誤解されてしまう。あなたが話題にしてくれてよかった」という星野氏の発言が会場の笑いを誘い、会はなごやかに幕を閉じた。

 

 

星野尚文(ほしの なおふみ)

1946年山形県出羽三山羽黒山宿坊「大聖坊」に生まれ13代目を継承し、平成19年出羽三山の最高の修行である冬の峰百日籠り行の松聖を務めた。現在は羽黒山で12月の大晦日に斎行される松例祭の所司前を務める。山伏名は「尚文」。「こころ」「いのち」「健康」「農業」「芸能」の重要性や山の思想を伝えている。

 

中西れいこ(なかにし れいこ)
占星術研究家、シンギングボウルプラクティショナー、羽黒山伏(山伏名:絢脩)、「いのりば」主催、ライフコーチ(CPCC国際コーチ連盟認定コーチ)、コーアクティブリーダーシップ修了。葉山在住。

ライフワークは「祈り」。縄文文化につながる古神道神職の修業中。「すべての人は宇宙に愛されている」が信念。宇宙の音(シンギングボウル)統合させて、一人一人の魂がより楽に豊かに輝くお手伝いをしている。

 

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