チェンジ・ザ・ドリーム シンポジウム(赤塚丈彦さん & 塚田康盛さん)
行き過ぎた環境破壊、根強く残る人種差別、拡がる貧富の格差、深刻化する精神的疲弊。それらは様々に形を変えて世界を覆い、私たちの暮らしを取り巻いている。問題の根はあまりに深く、私たちはときに絶望し、目をそらす。しかし視線をあげると、そこには絶望に向き合い挑み続ける人たちがいる。一人一人の小さな行動で、変わり続けている社会がある。CSR(企業の社会的責任)の潮流は世界中で加速し、社会課題の解決を目指すNPOやNGOは増え続けている。日本では2011年に起きた東日本大震災で、のべ100万人以上のボランティアが支援活動に参加するなど、意識は確実に変わり始めている。過去からいまへと清算しきれぬ債務を背負いながらも、いまこの瞬間に新たな未来が創造されている。そのような時代に私たちは生きている。
チェンジ・ザ・ドリーム シンポジウムとは
- 「私たちは今、どこにいるのか?」
- 「私たちはどうやってここまで来たのか?」
- 「未来に可能性があるのか?」
- 「私たちはこれからどこへ行くのか?」
チェンジ・ザ・ドリーム シンポジウム(以下シンポジウム)は、これら4つの問いを「一人ひとりが深く考え、自分なりの答えを見つけていくきっかけを提供する参加体験型プログラム」だ。シンポジウムでは、まず「様々な科学的なデータ」や「各界の著名人や専門家に対するインタビュー」、世界でいま実際おこっている問題の映像などを見て、「参加者同士で感じたことをシェア」しながら世界の現状への理解を深めていく。次に、より身近な暮らしで起こっている問題や新たな変化をグループ・ディスカッションなどを通して見つめ、そしてファシリテーターによるいくつかのワークや参加者同士の話し合いによって、自分の生きている意味や自分の創りたい未来などを問い直し、自分の内側へはいりこんでいく。シンポジウムの最後には、参加者一人ひとりが、未来のために今日からでもできる具体的なアクションを言葉にして持ち帰る。シンポジウムを受けた参加者からは「できるだけ使い捨てのものは使わず、水筒を持ち歩くようになった」「店員さんにあいさつをするようになった」「ホームレスの方々の夢の実現に向けて、自分なりにできる行動を取るようになった」「自然の豊かな小さな田舎町に引っ越した」など、自分がとるようになった行動がたくさん寄せられている。
「普段の生活では、“たくさんお金があればいい”、“もっとやったほうがいい”と、世の中のいまの流れに引き戻されてしまう。でもシンポジウムは本当の幸せの形ってそうじゃないということを思い出させてくれ、軸を保っていくための根っこになっている」。全国でシンポジウムを主催するNPO法人セブン・ジェネレーションズの代表理事である赤塚丈彦さんは、自分にとっての意義をこう話す。
セブン・ジェネレーションズの成り立ち
NPO法人セブン・ジェネレーションズ代表理事の赤塚丈彦さんと塚田康盛さんは2009年にシンポジウムがアメリカから持ち込まれた頃から関わっている。全国20都道府県で約150回以上開催されてきたシンポジウムだが、2009年の当初は同NPOもまだなく、ボランティアの有志たちが集まって、運営のマニュアルづくりや動画への字幕の挿入など地道な作業をおこなっていた。
シンポジウムが生まれるきっかけとなったのは、先住民族アチュア族の呼びかけだった。1990年代、南米アマゾン川流域で昔ながらの伝統的な暮らしを守り続けている彼らの土地に、石油開発の手が忍び寄った。先祖代々住み続けてきた神聖な土地が破壊される。危機感をもったアチュア族の長老たちは、自分たちの暮らしを脅かす文明社会に協力を呼びかけた。人々は、幻想を抱いている。その幻想は自然環境を破壊し、幻想を抱く人々自身の心を蝕んでいる。“大量消費こそが豊かさである”、“競争に勝てば幸せになれる”。そういった様々な幻想を変えていくために発せられたその呼びかけに応える形で生まれたのが、アメリカの非営利団体パチャママ・アライアンスだった。
パチャママ・アライアンスは、アチュア族によって提起された現代社会の諸問題の根元にある人々の意識に働きかけるため、「地球上のすべての人が、環境的に持続可能で、社会的に公正で、精神的にも充足した生き方を実現すること」を目的にチェンジ・ザ・ドリーム シンポジウムを立ち上げた。
シンポジウムは、いま世界の数十カ国に拡がっている。かつてイギリスで開催されたシンポジウムに参加して、衝撃をうけたのがCTIジャパン(コーチ養成機関) 創設者である榎本英剛さんであった。榎本さんはシンポジウムを日本に持ち帰り、数名の仲間とともに始めることにした。何度か開催していくうちに仲間も増えていき、ファシリテーターのトレーニングも日本で初めて行うようになっていった。そうして活動が拡がり、このシンポジウムの開催団体をNPO法人化しようと提案した榎本さんに対して、関わってきた全員で話し合うべきだと主張したのが塚田さんだった。「榎本さんの想いだけがあって、それを他の人が分担するのではなく、いままで関わってきたみんなの想いを積みあげて、つくりあげていったものがセブン・ジェネレーションズになるのではないかと思ったんです」。今後について、メンバー約30名で3日間泊まり込みながら話し合い、NPO法人セブン・ジェネレーションズを作ることをみんなの総意で決め、代表もCTIジャパンの経営に戻ることになった榎本さんではなく、塚田さんと赤塚さんになった。
社会への違和感と問題意識 一度は諦めたそれぞれの道
社会への問題意識と挫折。それは、歩いて来た道のりも年齢も全く異なるNPO法人セブン・ジェネレーションズの2人の代表理事の共通点だ。赤塚さんは、漠然とした違和感を社会に対して持っていた。本当にこの世界はこのままでいいのだろうか。この世界に自分はどう貢献出来るのだろうか。釈然としない想いが付き纏っていた中、30歳を前に青年海外協力隊に行くことを決めた。貧困地域の現状を自分で見て、そこに働きかけたかったからだ。試験にも受かり、準備していた時、両親や弟からの猛反対を受けた。かつて大事な肉親を亡くした家族にとって、政情不安な地で自分に万が一のことが起きたときの計り知れない悲しみが、痛いほど伝わってきた。そうして協力隊へ行くことは断念したが、世界への貢献という形で自分を表現できないかという想いは心のどこかでくすぶっていた。そして、子供が生まれた時に「この子たちにこのままの世界を受け渡していいのか、親としてそれで本当に納得できるのか」という形となって、再びわき上がって来た。シンポジウムと出会ったことで「ここで描かれる様な未来を創っていくことに働きかければいいんだ」と、釈然としなかった違和感に答えをもらったような気がして、自分の方向が定まった。そうして関わり始めたシンポジウムでより深く付き合う様になったのが塚田さんだった。以前、あるリーダーシップ研修で共に学んでいた頃の塚田さんは、医学部進学のため受験勉強の真っ最中であった。
塚田さんは大学を出てサラリーマンとして働いていたが、このまま働いていても自分の可能性はひらかないと関西の実家に戻り、家業の会社で働き始めた。塚田さんが企画した商品はあたり、ビジネスは大成功。しかし、本当に世の中の役に立てているのだろうかという実感が持てなかった。いまの仕事は確かに顧客の役には立っている。しかし人類の役に立っているのだろうか。塚田さんは医療にずっと関心があった。いまの医療は人間が本来持っている治癒力を活かしきれていない。そのような意識で問題に取り組もうとしても、いつも現代医学の壁が立ちはだかった。それならまず自分が医者になればいい。調べると可能性がない訳ではない。当時54歳だった塚田さんは自ら経営していた会社を譲渡し、受験勉強にとりかかった。2年間の受験勉強の末、1次試験には合格したが、年齢が行き過ぎているという理由であろうか2次の面接試験の関門は越えられなかった。これ以上続けてもあとがなくなる。そう思って医学部に入ることを諦め、次をどうするか考えていた時に榎本さんからシンポジウムを手伝ってくれと誘われ、この活動を開始した。
塚田さんは、自分の中に小さな自分と大きな自分がいると表現した。取るに足らない不完全な自分と、全てに繋がっているからこそどこまでも意識や想いが拡がっている自分という意で話していた。それは同時に、所詮なにもできない自分と社会を変えられる可能性をもった存在としての自分、という意でもある様に感じた。誰でも自分の無力さを感じることはある。目をとじ、耳をふさぎ、心の声もかき消してしまえば楽になることもたくさんある。しかし、赤塚さんと塚田さんの2人は、自分の中で時々顔をのぞかせる小さな自分から目をそらさなかった。小さな自分が現れ、折れそうになる度に大きな自分でいることを選択し、よりよい社会に向けて挑戦し続けてきたのだと思う。
これから
NPO法人セブン・ジェネレーションズはシンポジウム開催の他に、シンポジウムを行えるファシリテーターの養成をメインに活動しており、その数は約140名を超えるまでになっている。最近は、環境活動家であり仏教学者でもあるジョアンナ・メイシーが開発した、アクティブ・ホープと呼ばれる、絶望の中でも希望を選択し、自分の感じ方や世界の見方を変えて内面の力を高めるためのワークショップを主催するなど、活動の幅を広げている。いま2人の頭にあるものは、なにかしたいと想いを持っている人たちが実際に活動を始められるように、興味に合った団体と繋がれる仕組みをつくること、そしてそういった団体や個人をサポートすることだ。2014年5月、パチャママ・アライアンスの共同創設者であり、ソウル・オブ・マネーの著者でもある世界的な活動家リン・トゥイストが来日する。これをきっかけに、いままであまり関わりがなかったビジネス分野の人がセブン・ジェネレーションズの活動に参加出来るようなきっかけをつくっていくこともいま考えている。希望があるから進むのではなく、行動を続けるから希望が湧いてくる。2人はこれからも前を向き続ける。