【第三の道】男性性と女性性から紐解くこの時代の行方 高橋実(舞踏家・施術家)x 由佐美加子 – 前編 –
昨今、「身体性」ということに関心が集まっている。瞑想やヨガが一般的になってきていることに象徴的なこの流れは、生命の原初的エネルギーに触れたいと切望する人々の願いの発露とも読み取れる。
14回目となる第三の道は、「男性性」と「女性性」という最も普遍的な生命エネルギーの観点から、時代の流れを読み解いていく試みとなった。
登壇するのは高橋実氏。舞踏家、施術家として、人を自分の命の源流とつなげる場を提供し続けてこられた高橋氏に、CCCパートナーの由佐美加子がお話を伺った。
【NOを突きつける女性と戸惑う男性】
「第三の道」では、どうしたらもっと調和した社会になっていけるのか、ということに対して示唆を与えてくださると思う方に対談という形でお話を伺っています。今日のテーマは「男性性と女性性」。高橋さんから以前うかがった、「男性性と女性性のエネルギーが世界にどんな風に絡んでいるのか」というお話がとても面白かったんです。(由佐)
最近、二組のカップルにお話を聞いたんです。共通しているのは、「夫のあり方に対し、妻が我慢の限界に達している」ということ。借金とか浮気とかではないんです。男性の「お前達のために頑張っているんだ、だから我慢してくれ」というアプローチに対して、女性が「それは違う」と言っている。「わたしたちのために頑張ることは望んでない。あなたが生き生きとしていかない限り、この家庭はうまくいかない」と。30年でここまで変わったか、という印象があります。女性の方はもっと心のあり方や関係性について求めている。男は昔と同じで、自分が妻子を守って支えて我慢して、という構図のまま。
男性は女性が何を言ってるかよく分からないんですね。自分はめいっぱい頑張っているのになぜ分かってくれないのか、と思っている。そのことが、このテーマについて考えたときに浮かんできました。
役割責任、ということがありますよね。男性は社会的に「食わせないと」という大きなプレッシャーがある。そして、そこから外れることへの恐怖がものすごいと感じます。それが社会の仕組みとしてガチガチに固まっていて、人柱になっているように見える。
今は、大きな変わり目のところにいると思います。しがみつこうとする男性と、変えていこうと自覚的に思っている男性と、両極端がある。どう自己変革していくのかは、男性の大きなテーマなんです。
【歴史からひもとく男性性と女性性】
なんでそういう男性がいるのか、と考えた時に、日本という国の歴史と、生物としての原理が横たわってるんじゃないかと思っています。
まずは生物としての原理。生命の原理は「個の生存」と「種の保存」です。「わたしが生きていく」ということと、「子孫を残す」ということ。女性は、受精の瞬間から「個」と「種」をセットで自分の中に育んでいきます。女性の子宮が最小単位の「家」になる。しかし男性は受精後には「種の保存」と関われなくなる。「個の生存」しか残らない。そこに男性の欠乏感があります。そこで男性が唯一できるのは、縄張りを守ることなんです。じゃあそれをいかに強固にしていくのか、ということをやってきたのが、人間の歴史です。
【日本は女性的なエネルギーの国】
日本は豊かな自然風土ですから、縄張り争いは少なかったはずです。女性がそれほど男性の力を必要としてこなかった珍しい国。女性的なエネルギーにおおわれた列島だったのではないかと思います。
また、日本は自然風土が繊細で柔らかい。隣から奪わなくても、少し待っていれば花が咲いたり山菜が採れたりする。「待つ」ということが可能な風土です。そういう風土が、女性エネルギーを大きく深く浸透させたということはあるでしょう。
日本の自然は、人間が働きかけたら応答してくれるんです。日本人の勤勉さ、ものづくりの上手さもここから来ていると思います。応答してくれるから、働きかけをいとわない。もっとやろうと突き詰めていけば、細かい繊細なものができていく。工芸品なんか特にそうですね。「日本人が勤勉な性質をもっている」ということではなくて、勤勉さをかきたててくれる自然だったわけです。このように、身体性や文化は自然とつながっているんです。
現代のグローバリズムって、同質性の話だと思うんですよね。何かがひとつである、という人間のつくった思想。一方、自然は多様だし、移り変わるものです。それを受容するのが「多様性」ということなんだと思います。日本では今でも複数の宗教が共存しています。そういう多様性をこの国が抱えていることは面白いと思うんです。海外から友達が来ると、「この国は受け入れてくれる」ということをみんなが言う。日本という国のエネルギーとして、受容性の高さをすごく感じます。
歴史的にも、外来のものをうまく取り入れてハイブリッドにする、アレンジしていくという上手さがありますね。自然との関わりでいうと、自然風土が繊細だから、入ってくる余地があるんだと思う。それが繊細さ。その細かさは、女性の身体性とも、強く結びついていると思います。
【日本の身体性とヨーロッパの言語性】
男の人は、自分の中で答えが出ていると話ができる。だけど、プロセスだけの状態のときってあんまりしゃべれないんです。たとえば、井戸端会議って結論もゴールも目的もないでしょう。完了しない。男はあれを聞いてると「何が面白いんだろう」って思うの。分かる?
分からない(笑)。その、「完了が大事」っていうのは、何が作用しているんですか?
それは恐れです。ちゃんと理論武装して、はじめて社会に出られる。どうして理論武装する必要があるかというと、自然とのつながりがないから。不安なんですよ。
でもその欠乏感は、男たちが今の文化や文明というものを発展させる原動力にもなった。ただ井戸端会議をしているのだと、生産性はありませんから。
ヨーロッパでは紀元後すぐに宗教会議をやっている。結論を出していく文化です。日本の場合はなあなあでやってる。日本人は、身体性という意味ではものすごく優れているが、言語的なもの、論理的なものはだいぶ劣っている。
日本人の特徴は身体性のセンスの良さと洗練。日本が世界に誇れるものを見た場合、ほとんどが身体性と関わるものです。能や歌舞伎といった芸能、「道」と名のつくもの。どれも立ち居振る舞い、所作があるでしょう。身体と必ず関わる。1000分の1ミリの厚さを見抜いてしまうような職人芸もそうです。
身体性ということでいえば、身体技術のことって、言葉で聞いても分からないんですよね。よく見て身体に叩き込む、という教え方をする。欧米が、言語を中心にした「話す、聞く文化」なのに対して、日本は「見る」文化だと思うんです。
「みる」という言葉を書いてみます。すると、「見る、視る、観る、看る、診る、看る」と、レベル感の違う「みる」がこれだけあります。それに「やってみる」「食べてみる」というように、「…てみる」という言葉もある。これはどういう意味かというと、試みる、のみるなんです。やってみて、そこから何を感じるのか、その心の奥行きを見なさい、ということですよね。日本人は、奥行きをみようとするエネルギーが高い。
ただ手足を動かすのではなく、そこから生じる心の動きを見る。そこまで含んだものが「身体性」です。これは言葉で伝えるのは難しい。視覚のほうが伝わるものですよね。
後編はこちらから。
■高橋実(たかはし みのる)
治療家、セラピスト、舞踏家。トランスパーソナル・ムーブメント(現在のスピリチュアルの源流)の、スタート時点から、日本と、日本人の身体に向き合い続けている。20代、舞踏の稽古にまい進していた頃、生命の形として生まれた身心の不思議を感じ、そのメカニズムを知りたいという欲望に駆られる。東洋医学、トランスパーソナル心理学を習得する。
1984年、吉祥寺に治療院「からだはうす(トータル・リコール研究所)」を設立。ホロトロピックブレスワークをアレンジした独自の呼吸法をもとにワークショップなどを手がけ、4万人近くの心と体に向き合いつづけてきた。2013年三鷹に移転。
整体治療、カウンセリング、呼吸法、舞踏をとおして、人間の身体や感情、心理や知性、感覚やスピリチュアリティのエネルギー的関連を、象徴的な見方から紐解いていく作業に取り組んでいる。「自分探しの呼吸法」著者
★この対談をきっかけに、高橋さん×CCCでイベントを行うことに決定しました!!★
女性性と男性性の統合を探求しよう「オンナとオトコの曼荼羅塾」
男性性と女性性は人間の中の最も基本的な原理を成しているエネルギーだと思います。