【第三の道】 声と仏教に学ぶ「体と心のゆるめ方」 藤田一照(禅僧)× 楠瀬誠志郎(アーティスト)× キム・インス

「第三の道」第7回は、声と仏教が交錯した。自身も歌手でありながら、人がそれぞれ本来もっている声を引き出すトレーニングにも携わる楠瀬誠志郎氏と、心と体の関係に興味をもち、研究者から仏教の道に入った禅僧、藤田一照氏。来場者も一緒に声を出し、体を動かし、瞑想もしながら、「体と心をゆるめる」というテーマに、声と仏教という2つの異なる角度から光が当てられた。

 

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「宇宙の暴れん坊」の2人が語り合う

今回の第三の道は、CCCパートナーのキム・インスがファシリテーターを務めた。楠瀬氏と藤田氏を「私の表現でいえば、宇宙の暴れん坊である2人。いったいどんな対談になるのか、皆目見当がつかない」と紹介して、会場の笑いを誘ったインス。「お2人はいま、なぜここにいるのですか?なぜこの場に来たのですか?」と問いかけるところから、対談は始まった。

 

まず藤田氏が、「声の専門家(楠瀬氏)と仏教をしている人(藤田氏)。なぜこの2人が対談するのかと、皆さんは思うかもしれないが、ですが私の中では全然違和感がない」と問いかけに応じた。

 

そして「声」に関して、藤田氏が仏教の道に入る以前、大学院で学校教育について学んでいた頃の経験を話した。大学院に著名な演出家が特別講義に来たときのことだ。「その方は教師も生徒の前ではパフォーマーでなければならないといい、生徒に届く声を発しているかと問いかけました」。講義の場では次のような実験があった。10人ほどの生徒役が、先生役の1人に背を向け、少し離れて座る。生徒役の1人に向かって先生役は声をかけ、生徒役たちが「声をかけられたと思う人は手を挙げ、声が届いたと思う辺りを指差す」という実験だった。「声をかけたつもりの生徒と全く違う人が手を挙げ、はるか前や後ろを指さしていました」(藤田氏)。このように声というものはなかなか、思うように届かないということを体感したという。

 

大学院で心理学を学びながら、「一貫して体というものに興味があった」という藤田氏。心理学の研究をしながら、「心理学はあまりに心理学的すぎる、心のことばかりを対象にし過ぎている」と感じていた。そういう思いから、藤田氏は体育学科にもよく出入りしていたが、「体育学科は、あまりに体育学的過ぎるのです(笑)。私が知りたいのは心だけでも、体だけでもない、その両方を持つ、生きている人に興味があるのに、学問は2つを分けて考えようとします」(藤田氏)。

 

仏教こそ、体だけ、心だけではない第三の道

その上論文を書こうとすると、そこではデータしか取り扱おうとしない。「こんなことを一生やっていても、全然面白くない」と感じていたときに、坐禅に出会った。「これこそ体だけ、心だけではない、私にとっての第三の道だと思いました」。学問のように限られた条件下の事柄だけを扱うのではない。「長く続いて来たしっかりした教えがあり、伝統の中で培われた修行がある。全くこっちの方が面白そうで、自分にとってやる意味があると感じました」。こうして藤田氏は坐禅を始めて1年で大学院を辞め、寺に入る道を選択した。

 

「このように心と体、そしてそれらを反映する声は、最初から私が興味をもつ対象の一つ。だから今日ここで楠瀬さんとこのような場でご一緒できるのは、偶然ではなく必然性のあること」と藤田氏は話した。

 

毎日声の有難さ、尊さを感じて生きている

続いて楠瀬氏は「いま、なぜここにいるのか?なぜこの場に来たのか?」という問いに対し、「皆さんにとって声というものは遠いところにあるものでしょうか? それとも身近過ぎるものでしょうか? 私自身は、毎日声の有難さ、尊さを感じて生きている」と語り始めた。「私はたまたまシンガーとして、声を旋律にする仕事をしている。人の声とはなんなのか、私もその答えはよくわからないが、声を出している瞬間には、いま幸せであると意識できます」

 

「声のもつ力を、私の中ではうまく言語化できないので、私はそれを皆さんに(ワークショップで)体感してもらいます」と楠瀬氏。また体感してもらったことを、藤田氏がうまく言語化してくれるのではないかといい、「藤田さんを通じてみなさんにお伝えしたいと思います」と笑いを誘った。

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日本人の声は徐々に大きくしていくと、きれいに響く

ここから対談は、参加者も体を使うワークショップ形式に移っていった。参加者全員が2人一組になって大きな輪を作り、その真ん中で楠瀬氏と藤田氏が語り合った。

 

ここで楠瀬氏は、来場者に水分を取るように呼びかけた。藤田氏はそれを聞いて、「なぜ発声の前に、水分を取ることが必要なのですか」と質問。楠瀬氏は「今日学ぶことで大切なのは、体をゆるめること。ゆるめるために水分は必要なのです」と説明した。また楠瀬氏は、アジア人と欧米人の声の出方の違いを説明した。「声は、体温が高いほど大きくなり、低いと小さくなる」といい、日本人を含むアジア人は、体温が徐々に高まって行く一方で、長時間声を出せるのが特徴だと話した。「徐々に大きくしていくときれいになっていく声質なので、反復で音楽を作ることを好みます。それに対してイタリア人は、いきなり『オーソレミオ』!と声を出してきます」

 

次に楠瀬氏は、2つの声を実際に出して参加者に聞かせた。「どちらも音階でいえば『ミ』の音」だというが、前者はのどだけを使って出した声であり、後者は体、骨格全体に響かせた声だと説明し、「今日は後者の声の出し方を皆さんに伝えたいと思います」と楠瀬氏は話した。

 

後者の声を出すために大事なのが体、声帯をゆるめることだと楠瀬氏。「ゆるめるということは、人の本性を引き出すということ。本来音が鳴るものを、どう鳴らしていくかと考えるのが正しいのです」といい、ゆるめるべき体の2つのポイントを説明し始めた。

 

肩の筋肉に力が入ったままだと、早口に

第1のポイントは肩の筋肉。耳たぶのちょうど真下の部分に当たる肩の筋肉だという。「人は声を出すと、必ずここが吊り上ります。上がったままだと、それが声帯の自由な動きを抑えてしまう」(楠瀬氏)。上がったままで声を出し続けると、例えば早口になってしまうような問題が起こる。ワークショップでは2人1組になった来場者の1人が椅子に座り、もう1人がその後ろに立って、肩の筋肉のその場所を押した。押された人の中には「痛い」という人が多かった。

 

ここで藤田氏は、「仏教の世界では、痛みに出会ったら抵抗を減らした方がよいと教えている」と解説を加えた。仏教では苦しみは、痛み×抵抗という式で表わされるといい、「同じ痛みに対しては、抵抗を減らした方が、苦しみは減る。だから抵抗を減らした方が賢いといえます」と話した。抵抗とは痛みを「いやだ」と思うことだといい、「そうではなく、痛みそのものを味わうようにする。ありのままを感じ、痛みの変化を感じてほしい」と呼びかけた。

 

心と体が離れたことを言うと、肩が上がる?

「この筋肉を下げながら話すといいのだが、上がったままで話している人は多い」という楠瀬氏に、「心からの声を発していれば、肩の筋肉は縮こまって上がったりしないのでは。心と体が離れたことを言うと、肩は上がるのではないか」と藤田氏は応じた。「そのくらい、体は心を表わし、心は体を表わすもの。坐禅も邪な心では正しく坐れません。だからこそ、修行になるのです」と話した。

 

歌の世界では、「後ろで歌え」

ワークショップはもう一つのゆるめるべき場所に話題を移していった。それは肩甲骨だと、楠瀬氏はいう。「声を自由に出すためには、どれだけ背中が自由に動くかが大事。歌の世界では『後ろで歌え』といわれます」といい、肩甲骨の可動範囲を広げるほど、自由な音声表現ができるようになると説明した。藤田氏はこの話に対応して、腕、肩、肩甲骨の正しい回し方を実演。「体の前半分では小指がガイドするように回し、後ろ半分ではひじがガイドするように回すといい」とアドバイスした。

 

こうしたやりとりを聞いていた、ライアーという竪琴の奏者だという来場者が発言を求めた。その来場者は、「ライアーも肩甲骨で弾けといわれます。小手先で弦を弾くのではなく、肩甲骨を意識して弾くと、全く違う音が出る」と話した。藤田氏は「武道でも肩甲骨を使うと使わないとでは全く違うと言われています」と応じ、「肩甲骨の特徴は体にぶら下がっていること。呼吸に応じて自由に動かなければいけません」と語った。

 

休んでいる筋肉が多いほど、すぐに動ける

藤田氏は骨格と筋肉の関係について、更に説明を加えていった。「人が直立するときは、骨格のバランスで立って、筋肉はその微調整に使うといい」。仮にタコやイカのような軟体動物が直立しようとすると、「全身に、カチカチに力を入れるしかない」。だが丈夫な骨格を持つ人はそれを使って直立することができ、筋肉はバランスの微調整に使うだけでよい。「すぐに使える筋肉は、いまは休んで、ゆるんでいる筋肉。いま働いている筋肉は、次の瞬間には使えません。だから、なるべく休んでいる筋肉が多いほど、次の瞬間、すぐに動くことができます」。ここでも語られたのは、「体をゆるめることの大切さ」だった。

 

肩甲骨についても、楠瀬氏は「肩甲骨のカーブと、背骨が一番近づく所の、肩甲骨のすぐ内側」という、ゆるめるポイントを説明。ペアになった来場者は、お互いにそのポイントを押しあった。

 

抵抗を下げようとして、上げてしまっていることが多い

ここで楠瀬氏は藤田氏に「ゆるめる、ということについて、仏教の世界ではどんなことが言われているのでしょうか?」と質問した。

 

藤田氏は先ほどの「苦しみ=痛み×抵抗」の式に話を戻し、「痛みに出会って抵抗を上げるのは、緊張するということ。抵抗を下げることがゆるめるということです」と語った。また、心イコール体、体イコール心だから、「体をゆるめて、心は緊張したままということはありません」と、体の抵抗を下げ、ゆるめることが心のリラックスにつながると説いた。

 

だが、「人は抵抗を下げよう、ゆるめようと努力して、実は抵抗を上げてしまっていることが多い」と語り、ゆるめることの難しさに話題を進めていった。藤田氏がゆるめることの難しさを説明するために触れたのは、大学院時代に手がけた「赤ちゃんは、どうやって手をうまく使えるようになるのか」の研究の話だった。

 

この研究によると、赤ちゃんには、まず何か刺激を受けると、とにかく拳を握りしめる段階がある。次にゆるめようとすると逆に握ってしまう段階を経て、ようやく手のひらを開ける(ゆるめる)ようになるという。「赤ちゃんは長い時間をかけて、脳の指令でゆるめることを覚えていくのです」と藤田氏は話した。ことほどさように、ゆるめる、抵抗を下げると言うのは難しいことなのだろう。

 

何かを掴み続けることは、執着につながる

また藤田氏は、「何かを握りしめるということは、何かを掴み続けるということであり、それは執着につながる」と話を続けた。何かを掴み続けているから、人は苦しくなる。「掴んでいるものを、ゆるめて、手放してごらん」というのが、仏教のサジェスチョンなのだと藤田氏。「自分らしい声を出すためには、ゆるめることが求められる。これは仏教が語っていることと、通じていると感じます」

 

全盲の水泳選手の緊張。その理由がわかった

瞑想タイムや発声練習を経て、来場者からの質問・感想タイムとなった。「日本人やアジア人は、長時間声を出すことに長けているというお話があった。それで思い出したのはお祭りの『わっしょい、わっしょい』という掛け声。あれはおみこしの道中などずっと声を出し続けるが、関係しているのでしょうか」という質問に対し、楠瀬氏は「祭りの掛け声も、きっと理にかなったものなのでしょうね。田植え歌なども作業中歌い続けますが、作業で緊張している体を、歌が救っているのだと思います」と答えていた。

 

全盲の水泳選手のサポートをしているという来場者は、「生まれたときから目が見えず、これまで泳ぎを知らなかったような方が水泳で記録を出そうとしているので、とても緊張してしまう。先日、その人が講演をする機会があったが、非常に早口になっていた。泳ぐ時も講演の時も肩が緊張していたのだが、今日のお話を聞いてその理由がわかった。ぜひ彼に今日の話を伝えてあげたい」と感想を話した。

 

「体をゆるめるとポジティブになれることがわかった。早速明日から会社で実践したいが、会社の人たちも体をゆるめることに導ける、簡単な方法はないだろうか」という質問には、藤田氏が「みぞおちを押さえながら息をゆっくり吐き出すといい。念入りにため息をつくイメージです(笑)」とアドバイスした。

 

最後に、楠瀬氏はオリジナルの歌「 Face to Face ~第三の道 藤田一照対談バージョン~」を披露。声を通じた第三の道の探究を、しめくくった。

フェイストゥフェイス
言葉よりも 感じるもの
信じさせて

フェイストゥフェイス
この瞬間 いまここにね
我らはある

フェイストゥフェイス
フェイストゥフェイス

 

楠瀬誠志郎(くすのせ せいしろう)

シンガー、発声表現研究家、Breavo-para主宰。1960年東京都生まれ。音楽家の両親のもと、幼少の頃からボイストレーニング・発声学を学ぶ。シンガーとしては1986年にデビューし、13枚のオリジナルアルバムを発表。多くのアーティストに楽曲提供もしている。ボイストレーニングのレッスンスタジオ、Breavo-paraでは表現することの素晴らしさ・楽しさ・心地よさを伝え続けている。

藤田一照(ふじた いっしょう)

曹洞宗僧侶、曹洞宗国際センター所長。1954年、愛媛県生まれ。東京大学大学院教育心理学専攻博士課程を中退し、僧侶に。87年から米国マサチューセッツ州のヴァレー禅堂で坐禅を指導。2005年に帰国し、神奈川県葉山の「茅山荘」を中心に坐禅の研究、指導にあたっている。著作は『現代坐禅講義』(佼成出版社)、訳書はティク・ナット・ハン『禅への鍵』など。

※楠瀬さんが主宰されているBreavo-para様のブログはこちら

★Breavo-para様×CCCでイベントを行うことに決定しました!!★
「CCC&Breavo-para コークリ講座☆10回シリーズ:
〜自分の「音」を思い出し、力を解き放って生きる〜」

楠瀬さんと由佐(CCCパートナー)の3月の対談を通して、(頭から出す)「声」 から(身体を響かせて生きる)「音」への回帰というキーワードが浮上しました。そしてその違いは「自己一致して表現する勇気」なのだと楠瀬さんは考えていらっしゃいます。

自分の力を全部出して生きてみたいなあとどこかで感じている方、身体表現から本来の自分を探求されている方、言葉ではなく身体からのアプローチで自分の思い込みの限界にチャレンジしたい方、ぜひご参加ください。

お申し込みはFacebookイベントページにて「参加する」ボタンを押して頂くか、もしくはCCC HPのお問い合わせにて、件名を「CCC&Breavo-paraイベント参加希望」と書いてご連絡くださいませ。