【第三の道】 自然栽培にみた循環の美しさを人と組織へ 佐伯康人(農場経営者)× 村中剛志 × 藤本海
第6回を迎えた「第三の道」。今回は佐伯康人氏をゲストに迎えて、農業、福祉の世界にその糸口を探った。佐伯氏は無農薬、有機肥料による自然栽培の農場を営むことで、障がいを持つ人たちの就労支援に携わっている。自然栽培に挑むなかで見いだした自然の循環の美しさや力強さから、野菜づくりと組織マネジメントや人材育成との共通項へと、対話は広がった。
やらなければいけない仕事をしている人が多い
今回はCCCパートナーの村中剛志と藤本海が佐伯氏と対談した。冒頭、村中は自分の考える今回の対談の趣旨について話した。CCCの事業を通じて、企業や個人のビジネスパーソンと数多く接しているという村中。自らの力を発揮して活躍できるリーダーの育成や組織作りに取り組んでいるが、「上司から要請され、自発的ではなく、やらなければいけない仕事をしている人が多い。自分の内側から湧きおこるものによって仕事をすることが、なかなかできていないように感じる」と話す。一方、一般企業とは違った農業や福祉の分野で、自分の中から湧きおこってくる何かによって事業を進めている佐伯氏は、そのことについてどんな表現をするのか。そのお話を聞くのが今回の趣旨だと語った。
佐伯氏は松山市を拠点に、株式会社パーソナルアシスタント青空を経営している。2000年、脳性まひで肢体不自由児となった三つ子を授かった佐伯氏。地域の人々の支援を受けて子どもを育てながら、障がいを持つ人たちの就労支援を始めた。2006年のことだ。現在同社は就労継続支援B型事業(比較的障がいの重い人たちに工賃を支払い、生産活動に参加してもらう事業)で自然栽培の農業を営み、精神、知的、身体などの障がいがある25人が働いている。同社は農業のほか居宅介護事業、放課後デイサービス事業、福祉タクシー事業なども手がけている。また佐伯氏は、全国各地の福祉施設などに対して自然栽培による農業の指導もしている。
施設を見て感じた「こんな仕事は我が子にさせたくない」
こうした活動を展開する佐伯氏に、「佐伯さんは、なぜ今ここにいるのか?上記のような事業になぜ取り組むことになったのか?」と問いかけることから、対談は始まっていった。
「正直に話すと、自分でもよくわからない」と話し始めた佐伯氏。三つ子の我が子が3人とも障がいをもっていたことがきっかけだったと振り返った。子供をどんな施設に預ければいいのかと、全国各地のハンディキャップのある人が働く施設を見て回った。「どこでも同じように、クッキーを作っていました。特別ではない、普通のお菓子です。そうでなければ、ボールペンを袋詰めするような仕事をしていました」。それで障がい者が得られる給料は月に3,000円程度。「最初は日当と勘違いしたものです」。障がいのタイプも、それぞれの能力も一人ひとり違うはずなのに、みんな同じような、下請けの、そのまた下請けのような仕事をしていた。「こんな仕事は我が子にはさせたくないと思いました」
3人の子どもたちは地域の人たちに育ててもらったという思いがあった。そうした経験から佐伯氏の視界は、我が子のことから「障がい者も楽しく暮らせる町づくり」に広がり、障がい者のための仕事づくりが、「俺の進むべき道だと思うようになりました」と話した。
あまりの農薬の量に、気持ち悪さを覚える
佐伯氏は北九州市の出身。「ヘドロと鉄鋼の町で、自然とはかけ離れていた。実家も農業とは何の関係もありませんでした」。ただ、なんとなく農業は面白そう、やってみたいと感じていた。「百姓というのは100の仕事という意味で、それを細分化すれば1,000くらいの仕事になるのではないか。そうすればいろいろな障がいのある人にも、それぞれに合った仕事を生みだせるのではと、頭で考えていました」
まずは小さな土地を借りて、農業の実験を始めた。最初に取り組んだのは、キャベツ栽培だった。「作業をしていたらチョウが飛んできて、こんな美しい場面を見ながら働けるのかと感動したものです」。だがそのチョウが卵を産んだのか、アオムシに葉を全て食べられ、キャベツは全滅した。「アオムシが葉を食べるとは知っていたが、あんなに全部食べてしまうとは知りませんでした」。そこから農薬を使い始めたが、「あまりの量に、気持ちが悪くなってしまった。スーパーの野菜なんて全部毒だ!という妄想にまで、とらわれてしまいました」
「理にかなった」自然栽培に出会う
そこで注目したのが、有機や無農薬の農法だった。まずは愛媛県伊予市の福岡正信氏が実践した、自然農法に挑戦した。「ほったらかしにすればいいというのでその通りにしたら、自分の背丈を越す雑草が生えてしまった。耕作放棄地を開墾したはずが、また元の放棄地に逆戻りでした」。行き詰まりを感じていたとき、やはり無肥料、無農薬の自然栽培を実践する木村秋則氏の著書『リンゴが教えてくれたこと』を、友人がくれた。「本を読み込んでいくと、非常に理にかなった方法だとわかった。うまくやれば収量もあがり、農場で働く障がい者の人たちにも工賃を支払えるのではと思いました」。実際、就労継続支援B型事業所である佐伯氏の農園では、全国平均の工賃が月額14,000円余りであるのに対し、現在平均で約5万円を障がい者の人たちに支払っている。
自然栽培の田と地域コミュニティは、似ている
木村氏の手法に自分なりのアレンジを加えながら、自然栽培に挑戦することにした。「1年目は比較的簡単だと聞いた米作りに挑みました」。自然栽培の田んぼには、生き物がワイワイしていた。「何かに似ている、楽しげな環境だなと感じました」。似ていると感じたのは、障がいを持つ子どもたちを一緒になって育ててくれた、地域のコミュニティだった。「支え合っている調和感が同じだった。私たちが取り組む農業はこれしかない!と、手ごたえを感じたものでした」
ウンカに襲われた田に見いだした、自然の美
だが、喜びは長く続かなかった。夏、ウンカの大群が田んぼを襲ったのだ。朝、田に行ってみると、稲が全部倒れていた。「やはり木村さんの言っていることは奇跡だった。誰でもマネできるものではないと、その瞬間思いました」。だが田んぼに近づくにつれ、佐伯氏の落胆は、喜びに変わっていった。「ウンカから稲を守るように、田んぼ全体にクモの巣が張り巡らされていた。稲がだめになっていたのではなく、クモの巣や稲に水滴がつき、それで倒れていたのです」。田んぼには朝の光が入り、稲やクモの巣は虹色に光り輝いていた。「食物連鎖の働きを感じると同時に、これこそが人為的には不可能な、自然の美しさだと感じました」
ここで村中は「それはどんな種類の美しさでしょうか?」と質問を加えた。佐伯氏は、「大げさかもしれないが、宇宙から地球を見たような感じかもしれない」と答えた。空や水や空気、そして多様な生物。「すべてがそこに集約されている美しさを感じたのだと思う。多様な生物が集まる自然栽培でなければ、感じられなかった美しさかもしれません」
野菜が舞台の主役だとすれば、人は裏方
続いて対談は、自然栽培における人の役割という話題に進んでいった。佐伯氏は「野菜が舞台の主役だとすれば、私たちは裏方。大道具係のような感じ」と話した。育てる人は裏方であるという状態を作ると、野菜は育ちやすくなるという。
ここで村中は、「裏方の役割とは、具体的にどんなものか?」と質問。佐伯氏は「例えば、脇役である雑草を排除せずにうまく残すことです」と答えた。雑草をうまく残すと、畑の土に直射日光が当たらず、乾燥を防いでくれる。台風が来ても、雨で土が流れるのを防ぐ役割もする。また雑草の根は、土の空気や微生物を増やす役割も果たしている。「脇役の雑草が主役の野菜以上に伸びてしまったら、刈ってやる。これもそのままにしておけば肥料になり、朝露がつくことで水分が保持されて水やりも不要になる。何の矛盾もない、本当の循環ができるのです」
循環を畑に創り出す自然栽培は、「ヒモ農業」
このように人が裏方となって、主役も脇役も活躍できる循環を畑に創り出す自然栽培を、佐伯氏は「ヒモ農業」と表現して会場の笑いを誘った。「毎日野菜たちに、元気かい?頑張れよ!と声をかけていれば、畑が食わせてくれる。従来の農業が俺に付いてこい農業だとするなら、自然栽培はヒモ農業ですね」
ここでここまでの話を受けて、来場者の感想や質問を受け付けた。「中小企業をサポートして思いを引き出し、心の底からやりたいことを事業化するお手伝いをしている」という来場者は、「会社経営も自然の理も、根っこが大事というところで共通していると気づいた。会社がうまくいくときの美しさと、自然の循環の美しさはシンクロしている」と感想を語った。また会社も、「主役は誰か?」ということが大事だと感じたという。「創業から5年で頭打ちになるベンチャーを多く見てきた。それは、ずっと社長が主役のままだからなのだと思います」
観察する側に立つと、自身の会社が見えてくる
佐伯氏は「社長もヒモになるといい。その方が会社はうまくいく」と応じた。「私も中小企業の2代目で経営に苦労したことがある。現状に固執すると、答えが出なくなることがある」といい、経営者が会社を観察する側に立って初めて、自身の会社が見えてくることがあると続けた。「自然栽培も観察がすべて。全体を見る観察力が必要です」と話した。
別の来場者は第三の道のあり方に言及した。「佐伯さんはヒモと表現したが、要は人ではなく、野菜が主役だということだとお話を聞いた」。作物が主役、人が脇役という環境で育った野菜は非常にパワフルに育つのだと感じたという。「佐伯さんの農業のように、本当に自然の摂理に則ったやり方を実践できれば、第三の道も見えてくるのではないか」と話した。
自分以外の人を助ける方が、第三の道につながる
佐伯氏は「人間も、一人ひとりがセルフコントロールしながら強くなっていくことは難しい」とこの話を受け、人同士も、支え合うことで育つものであり、支え合うことでたくましく元気になれるのではないかと語った。「今は、自分でがんばらないといけない、強くならないといけないと強調する風潮があるが、自分以外の人を助ける、ハッピーにするように、お互いに支え合う方が、第三の道につながるのではと感じます」と、思いを述べた。
藤本からは「人が育つ、人が生きるということについてどんな思いがあるのか」という問いかけがなされた。佐伯氏は「同じ現象が起こっても、人の見方一つで感じ方は変わる。心の置き方次第だと思います」といい、他人を変えることはなかなか難しい。だから物の見方を変えることで、自分を変えていく方がいいと語った。
「失敗が研究のきっかけになる」と前向きに
農業の実践の中から具体例を挙げてほしいと乞われ、佐伯氏はこんなエピソードを紹介した。佐伯氏の農場では障がい者や海外からの研修生など、あまり農業経験のない人が作業をすることも多い。ある時、「作物の男枝を切って、女枝を残してほしい」という指示を出した。だが作業員はそれを聞き間違い、母枝を全部切ってしまったことがあった。「その失敗を聞いたときは、まるで満塁ホームランを打たれたピッチャーのように、がっくりひざが折れました」と佐伯氏。だが、通常とは違う枝を切ってしまい、そこからいったいどんな芽が出てくるのか、実験しているのだと思えばいいと考え直した。「見方を変えれば、失敗が研究のきっかけになったと、前向きになれます」
一人ひとりがしっかり生きることは、一人では実現しない
最後に対談した3人が、思いを語った。村中は、「正直物足りない。続きをやりたい感じがする。佐伯さんのいう循環を起こしていく、主役がいきいき育つといったことは、様々な分野で、それぞれ違った表現で取り組まれていると思う。佐伯さんはそれをどう表現するのか、もう2、3歩踏み込んでみたかった」と話した。
藤本も健全な消化不良感があると応じ、「一人ひとりがしっかり生きることは大事だが、それは一人では実現しないことだと感じた」と話した。田んぼがウンカに襲われた話に言及し、「クモが田に巣を張ったのは、自分が生きようとしてそうしたのであって、稲を守ろうとしたわけではない。個に注目するとただ自分を生きるということだが、そういう個が共生して、初めて調和するのでしょう」と感想を述べた。
2人の話を受けた佐伯氏は、「考えを言葉にできる人はうらやましい」と笑いを誘い、「(言葉にするのが苦手な)私は今、言葉にするとまだ漠然としているイメージに、徐々に近づいている段階だと思っている」と話した。言葉では上手く表現できないが、目指す映像はくっきり浮かんでいるという。それは、「老若男女、障がいのある人もない人も、みんなが楽しそうに、一緒に生きているイメージ」だと言い、「そこに向かって絶対に歩いていくという強い気持ちがある」と話して、会をしめくくった。
佐伯康人(さえき やすと)
株式会社パーソナルアシスタント青空代表取締役。1967年福岡県生まれ。2000年、重度の障がいのある三つ子を授かったことをきっかけに障がいを持つ人たちの就労支援に関心をもち、2006年から事業を始める。現在同社は就労継続支援B型事業所として自然栽培の農業を営むほか、居宅介護事業、放課後デイサービス事業、福祉タクシー事業なども手がける。メジャーデビューを果たしたバンド、WIZKIDSの元ボーカルでもある。